私の作画に対する理論        内藤圭介

観念アートとは観念と行為と存在の相関関係にあると結論付けるのに可成りの時間が掛かりました。

又観念アートを飽くまでも表現の手段として、個性の表現を主体と考えました。作画は感覚に依る作業が先行しますが、観念の論理を併走させないと私の絵には成りません。

落選した絵を他のコンクールに出す。審査員が同じで、優秀賞。

10年前の落選作が新しいコンクで優秀賞。

時代が私に追いついた?私が時代を待って居た?

少しばかり自信が付いた。其れから50年時代に取り残された。

時代は螺旋状に繰り返す、時代が又私を評価する時を待つ事にします。

今時の若い連中は何を描いているか全く解らん。我々も若い時によく云われたものです。世代の違い、時の流れによる感覚のずれは、如何しても避けられません。

しかし、現代画家の中にも私から観て、感動を受ける作品も少なからず有ります。深く見込んでみると感覚ではなく観念による作画処理が上手く使われて居ます。しかし作者自身は、観念アートの歴史も全く知りません。今では観念アートは無意識につけた下着に成って居ます。下着を着けずに大きな顔をした絵かきも居る。